慈覚大師円仁 中国唐の巡礼旅日記である。
9年間に及ぶ日記には当時の庶民生活や中国の行事、寺院生活、苦難に満ちた出来事の数々が記されている。
親日家で有名な 故 ライシャワー博士(元米国駐日大使)はこの書を英訳し世界に紹介され、世界的に有名な旅日記になった。
又、慈覚大師様は日本全国に普及巡礼され、多くの寺院を建立され、ゆかりのお寺も502を数えるという。
慈覚大師円仁の足跡を訪ねる旅のお誘い
――――青島―石島―蓬莱―青洲――(H,21,6/1~6/5)
6月1日
天台宗 東九州教区寺庭婦人
団長 寺田 豪淳 氏..(.両子寺)
副団長 寺田 桂子 氏…(東九州教区寺婦会長.両子寺)
事務局長 秋吉 文代 氏…(文殊仙寺)のもとで総勢11名
福岡空港より青島まで1時間余りで到着。更に空港より専用バスにて石島へ移動。
①円仁様(43歳)は 遣唐使の一員に選ばれ、3度目の渡唐で揚州に到着、開元寺に滞在 (838,6,13~8,24)
②揚州で天台山巡礼の機会を待つが許可が下りず、ついには帰国命令が下り、遣唐大使とともに揚州を出発(838、8,25~839,2,21)
③帰国に向けたが風が定まらず乳山に漂着。再び荒波のなか、山東半島の赤山に流れ着く (839,2,22~6,7)
④天台山巡礼を諦めきれない円仁様は、残留を決意し、二人の弟子と一人の従者を連れ赤山法華院に身を潜め、他の一行は帰国された (839、6,8~840,2,19)
6月2日
赤山禅院――円仁記念館(*写真)――赤山明神像――張保皇記念館
円仁様がつないだ友好で大変なおもてなしを受けた(昼食は赤山景区招待宴)
*写真
”円仁記念館でのハプニング”
身体が硬直しその時代に吸い込まれていくような感動の余りというかブルブル震えだし涙がとめどなくあふれてきて暫く立ちすくんでいたらしい。お連れの人が探し探し呼び戻しに来るまでその場に立ち尽くしていた私は一体あれは何だったんだろう?......
円仁様が赤山法華院の住職に匿われて大切にされていた事、張保皇に生活の面倒を見て貰っていた事、あげくには天台山を諦め、五大山へ行く費用を用だてて貰われた事...円仁様が如何に皆様から大切にされていたか、そのお人柄、お徳が偲ばれ更にはこの円仁様の勇気ある決断(天台山を諦め、帰国命令のところを五台山に向かわれたこと)のお陰で、霊仙様が今こうして世に出る機会をいただいたのだと思われてならず、言葉では言い尽くせない程円仁様への感謝、感謝そしてご恩 運命に只ただひたすら円仁様ありての霊仙様......そんなお二人の深い絆のご縁に言い尽くせない感謝の場であったのではないかと思われてならない。
6月3日
蓬莱閣――登州博物館――専用バスにて青洲へ
6月4日
⑤五台山へ向かう決意…五台山へ行く為の旅行証明書がいるので、その通行許可書を得ながら青洲へ向かう(840,2,20~3,20)
円仁様が歩いた面影が残る蓬莱路地裏(*写真)
青洲博物館――青島市内見学
6月5日
飛行観音様のお加護で無事福岡空港着陸、楽しい思い出いっぱいにして 帰国の途へ…
おまけに文殊仙寺様のお言葉に甘えて一夜の宿を、 国東半島をご案内していただく良いご縁をいただいた。
文殊仙寺様は、五台山より文殊師利菩薩様をご本尊に、役の行者の開基と伝えられる古刹で、山奥の不便な場所とは言え、
よくぞここまで古刹の大きなお寺を護持されてこられた事への尊敬の念を抱く。
守っていく事の大変さをつくづく思い知るわが身ながら、お檀家さんがいらっしゃることが救いに思われた。思いもよらぬ旅の重なるプレゼントに感謝!感謝!
さて、円仁様の足跡を訪ねる第二回目の旅は、中国五台山!!
” 中国五台山(2009) 世界遺産に登録 ”された (NHK放映 H,22,1,6 10:00pm.再1,8 4:00pm)